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伝説と土が重なった川、伝承と記録が食い違う港

裏龍脈 / 秋田県北秋田市・胡桃館遺跡/青森県・十三湊

伝説と、記録と、土の中。この三つは、同じ場所について別々のことを言うことがある。

今回は、東北の北にある二つの場所で、その三つを並べてみる。片方では、伝説と土が同じ川を指していた。もう片方では、伝承と記録が、港の消え方・衰え方を別々に語っていた。


① 古層はこう言っている

米代川を下った龍

秋田には、八郎太郎という龍の伝説がある。十和田湖での戦いに敗れた八郎太郎は、米代川を下り、やがて八郎潟を作ってそこを住みかにした、と語られる。

十三湊の大津波

青森の十三湊(とさみなと)には、「南北朝のころ、津波で壊滅した」という伝承がある。


② 行ってみた

胡桃館も、十三湊も、まだ行っていない。

だからこの回は、行く前の答え合わせとして書いている。伝説と記録と土の中、三つの台帳を机の上で突き合わせただけだ。

行ったら、足で見たことをここに足す。胡桃館は北秋田市の鷹巣、十三湊は青森の津軽半島にある。


③ 今はこうなっている

胡桃館遺跡:伝説と土が、同じ川を指していた

秋田県北秋田市の鷹巣に、胡桃館遺跡がある。

915年の十和田火山の噴火で起きた土石流が、平安時代の建物を埋めた、と考えられている。掘ってみると、4棟の建物などの下の部分が1.5mほど、立ったまま出てきた。日本の発掘調査の歴史で、例のない遺構だという。

出てきたのは、建築部材を中心とする436点。2009年に、まとめて国の重要文化財に指定されている。

十和田火山の噴火では、大規模なシラス洪水が起き、米代川の流域を広く覆ったとされる。

ここからは、私の読みだ。八郎太郎が下ったと語られる川と、噴火の泥が流れた川は、どちらも米代川だ。伝説が噴火を語り継いだものかどうかは分からない。ただ、龍の通り道と泥の通り道が同じ川に重なっていることは、覚えておいていいと思う。

十三湊:伝承と記録が、別の消え方を語っていた

十三湊では、平成3年度から、国立歴史民俗博物館や地元の村、青森県教育委員会による組織的な発掘調査が行われてきた。

港を拠点に栄えたのは、津軽の豪族の安藤氏だったとされる。その安藤氏は、永享4年(1432年)の南部氏との争いに敗れた。港は15世紀の中ごろに計画的に整備されたものの、まもなく衰退した、とされている。

伝承が語るのは、波が港を消した話だ。記録と発掘が語るのは、争いに敗れたあと、港が衰えていった話だ。津波が無かったと言える材料は、私の手元にはない。言えるのは、伝承は「壊滅」を、記録は「衰退」を語っているということまでだ。二つを原因と結果で結ぶのは、私の読みになる。


台帳が食い違ったとき

二つを並べると、こうなる。

  • 胡桃館:伝説と土が、同じ米代川を指していた
  • 十三湊:伝承と記録が、港の消え方を別々に語っていた

伝説も、伝承も、記録も、それだけでは正しいとも間違いとも言えない。どれを信じるかは、土の中を見てから決める。

台帳どうしが食い違ったら、答えは第三の場所、つまり実物の側にある。これも私の読みだ。だから次は、足で見に行く。


出典